寺伝によれば、大願寺はもともと飛保(愛知県江南市)にあり、「尾州六坊」のひとつに数えられ、飛保の「西の坊」と呼ばれていました。本願寺第十代門主・証如上人の時代には上人の記した「天文日記」に「大願寺」の名が3回登場しています。これらのことから、当山は当時の有力寺院のひとつであったことが想像されます。
 1603年の本願寺の東西分裂の際、尾州の国守より東本願寺・教如上人側につくよう命令が下りましたが、当時の住職・浄誓はそれに反し、西本願寺・准如上人に味方しました。当時の政治状況から考えると、西本願寺に味方する以上、大願寺は尾州にとどまることができなくなり、飛び地境内のあった現在の長塚(岐阜県各務原市)の地に移転したのではないかと推測されます。
 寺伝の示すところ、750年の長きに渡り、数々の苦難を乗り越え、歴代住職の尽力と、御門徒・地域の方に支えられ、念仏の道場として現在に至っています。

大願寺の歴史
本願寺・世の中の動き
西暦
大願寺の出来事
親鸞聖人誕生
1173年
 
1233年
正慶【大願寺初代】親鸞聖人に会い弟子となる。
 
正慶、円智【大願寺2代】(円善の子)を養子とする
親鸞聖人往生(本願寺初代)
1262年
 
覚如上人誕生
1270年
 
 
慶誓【大願寺4代】覚如上人絵像弥陀如来尊像(「蓮如以前か蓮如期でも極初期か」という絵像弥陀如来尊像が大願寺に現存)
覚如上人往生(本願寺3代)
1351年
 
蓮如上人誕生
1451年
 
順正【大願寺8代】蓮如上人六字名号賜る
蓮如上人往生(本願寺8代)
1499年
 
1518年
順諦【大願寺9代】実如上人より「方便法身尊形」を賜る(御裏書現存)
 
順諦「御文章」二通を賜る
実如上人往生(本願寺9代)
1525年
 
織田信長誕生
1534年
 
豊臣秀吉誕生
1536年
 
1541年
大願寺「天文日記」に登場
徳川家康誕生
1542年
 
1543年
大願寺「天文日記」に登場
1549年
大願寺「天文日記」に登場
証如上人往生(本願寺10代)
1554年
 
織田信長との石山戦争始まる
1570年
 
 
大願寺・了海、大坂篭城、顕如上人より絵像本尊を賜る。天正年討死(御裏書現存)
織田信長との石山戦争終結
1580年
 
織田信長没
1582年
 
顕如上人往生(本願寺11代)
1592年
 
1593年
 5月、浄誓【大願寺12代】、教如上人より『顕如上人真影』を賜る。 (御裏現存)
 9月、教如上人(長男)、准如上人(三男)の本願寺宗主継職を承諾する。
 1593年
 
豊臣秀吉・没
 1598年
 
関ヶ原の戦い
 1600年
 
 1601年
 浄誓【大願寺12代】、准如上人より『和朝親鸞聖人御影』を賜る。 (御裏現存)
 引退中の、教如上人、前年(1602年)に徳川家康から寄進を受けた寺地(京都烏丸七条)に御堂を建て、上野(群馬県)厩橋・妙安寺から迎えた親鸞聖人像を安置する。 (大谷派本願寺の起源)
 1603年
 
 
 この頃(1601年前後〜1615年)、飛保の大願寺、長塚に移転か?
大坂夏の陣、豊臣家滅亡
 1615年
 
徳川家康・没
 1616年
 

 1645年
 寺地を長塚に移転した浄誓【大願寺12代】往生。
 1650年
 長塚・大願寺、良如上人より『木仏御裏』(願主釋浄誓)を受ける。寺地移転を完了。 (御裏現存)
 1711年
 證誓【大願寺13代】、往生
 1754年
 順誓【大願寺14代】、往生。
 
 明和年中(1764〜1772)本堂大修繕。
 
 1779年
 仰順【大願寺16代】、往生。(2月9日)
 
 1779年
 泰順【大願寺15代】、往生。(2月17日)
 
 1845年
 浄順【大願寺18代】、往生
 
 1849年
 泰順【大願寺17代】、往生
 
 1891年
 本堂再建工事開始3ヵ月後に、濃尾大震災。
 
 1895年
 本堂再建を果たした敬順【大願寺19代】、往生
 
 1908年
 本堂完成の法要、ならびに蓮如上人四百回大遠忌法要厳修
 
 1915年
 行信【大願寺20代】、往生
 
 1958年
 行運【大願寺21代】、往生
 
 1996年
 博雲【大願寺22代】、往生
 
 2008年
本堂完成の法要、ならび親鸞聖人七五〇回大遠忌法要厳修

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